new
{{detailCtrl.mainImageIndex + 1}}/8

『MIZOGUCHI』 Vé‑Hô サイゴンからパリへ──溝口を読む最初の声

残り1点

2,600円

送料についてはこちら

『MIZOGUCHI』 Vé‑Hô サイゴンからパリへ──溝口を読む最初の声 仕入れの棚で手にしたのは、フランス語で書かれた溝口健二の研究書だった。 自国の映画監督の評論を、わざわざフランス語のペーパーバックで読む──そんなめんどうを好む人はいないだろう。 それでも、この一冊には、思いがけない発見があった。著者名は Vé‑Hô(ヴェ・ホー)。検索しても経歴が出てこない、筆名の可能性が高い人物。しかし本を開くと、裏表紙に短い履歴が記されていた。 1939年にサイゴンで生まれ、1950年に中等教育のためパリへ移住。バカロレア取得後、1961年にIDHECを卒業し、RTFで映画編集者として働きながら、ベトナム人学生グループの文芸誌の編集長も務めていた。 そしてこの本は、彼女の卒業論文から抜粋されたものだと前文に記されている。 ふと、この時期のパリでイェイェを歌っていた Tiny Yong(タイニー・ヨン)の姿が重なる。同じベトナム系の若い女性が、周縁から文化の中心へ静かに入り込んでいったという点で、Vé‑Hô とどこか響き合うのだ。 粗い紙質のペーパーバック。浅い黒の印刷。大映から提供された写真。それらは欠点ではなく、若い批評家の“最初の声”の質感として、時代の空気をそのまま閉じ込めている。 1963年刊──つまり、フランスで溝口が「作家」として読まれ始めた最初期の時期に、すでにこの研究書が存在していたことになる。しかもその最初の読者は、フランス人批評家ではなく、サイゴン生まれの若い女性だった。 映画史の語りはいつも中心から始まるように見えるけれど、実際には、こうした周縁の交差点から静かに始まることがある。 謝辞には、衣笠貞之助、渡辺潤、水谷浩、辰野忠久、宇野敏郎夫人、そして日本大使館の山岡氏の名前が並んでいる。 若いベトナム人女性の卒業論文を、日本映画界の内部者たちが支えたという事実は、この本が単なる個人の研究ではなく、日仏越の三つの文化圏が交差した“共同の成果”だった可能性を示している。 溝口本人の名前が謝辞にないのは、1956年に亡くなっていたからだ。しかしそれは欠落ではなく、映画が本人不在のまま国境を越え、理解されていった証拠でもある。 この本は、当時のパリのシネマテークに通う若いシネフィルたちが膝の上で読んだかもしれない一冊だ。 彼らが知らない世界を、半世紀以上前にサイゴン生まれの女性が静かに言語化してくれていた。 その最初の声は、中心ではなく周縁から生まれたものだった。 だからこそ、この一冊に宿る静かな事実は、半世紀を超えて胸に触れる。 誰の興味をひかないかも知れない一冊。 それでも、あの時代のフランスでの溝口の声に、そっと耳をすませようとする人がいる。 古書店の棚が持つ静かなロマンは、たぶんそういうところに宿るのではないかと、自分にいい聞かせて終わる。 *表紙に折れシワがあり、本体には経年によるヤケとシミがあります。 *何冊買っていただいても同じ送料です。(いちばん大きなサイズが適用となります) 著者 Vé‑Hô 出版社 Éditions Universitaires 出版年 1963年 サイズ 176×112㎜ ペーパーバック版 状態 B−

セール中のアイテム